お肉検定1級を目指して猛勉強中のふくちゃんです。
お肉検定認定試験には大きく7つのカテゴリーから問題が出題されます。
勉強の進捗具合の確認やアウトプットの意味を込めて、このブログに綴っていこうと思います。
まずは最初のカテゴリーである食肉の日本史を解説していきたいと思います。
縄文時代(約1万年前)
人類は、およそ1万年前の新石器時代に食糧生産革命の時代を迎えます。
言語的・民族的集団が形成され始めたのもこの時代から。
新石器時代は狩猟や海兵漁労、採集で食糧を確保し、土器を使うなどでレパートリーが広がりました。
獲物の肉を加熱するだけの「火食」の段階から、煮炊きなどの料理ができるようになると、それまで硬くて食べられなかったドングリやトチの実も食料になり、加工した食料を備蓄するようになります。
動物の内臓も食べており、縄文人の食生活は栄養的にも優れていました。
旬を大切にして山や海の幸を巧みに食用としていたようです。
- 食料の加工や備蓄の始まり
- 肉食(主にシカ、イノシシ、マガモ等鳥獣肉の内臓)の始まり
- 他に魚介、海草、木の実等多彩な食生活
弥生時代【前期】(紀元前300年~1世紀初頭)
水田稲作は日本列島に大改革をもたらします。
稲作に適さない多くの台地や水利のよくないところでは、依然として粟や稗、黍(きび)、豆、蕎麦などの穀物や数少ない野菜が畑作栽培され、狩猟や漁労採集が頻繁に行われていました。
狩猟の獲物ではシカ、イノシシが多く、鳥類では鵜、鴫(しぎ)、鷺(さぎ)、鳩、鳶などが食されています。
- 豚やニワトリが飼われた弥生時代
- 水田稲作の開発と普及
弥生時代【後期】(1世紀後半~3世紀前半)
弥生後期になると、運搬や農耕に重要な役割を果たした馬や牛、狩猟に役立つ犬のほかに食用の豚やニワトリを飼っていたことがわかっています。
しかし、四方を海に囲まれ豊富な魚介類に恵まれていたために肉食の習慣は定着しませんでした。
- 肉食習慣民族の渡来とともに食用家畜(豚、鶏等)の飼育
- 肉食の文化が江戸時代まで定着せず
古墳時代(3世紀後半~6世紀初頭)
4世紀になると堅穴住居に竈(かまど)が設置され調理技術が発達。
加工食品を貯蔵する穴や置き場も整備され、肉料理のバリエーションも広がります。
農耕が広く普及して主食と副食が分離します。
内臓から摂っていた塩分の不足は、海水から塩の結晶を取り出して食塩を調味料として利用する食文化を呼び起こします。
肉料理では、家畜を煮たり焼いたりする料理に加え肉汁の利用や、貴族の間では乾燥させた脯(ほじし:乾燥させた鳥獣の肉)などのメニューが登場。
538年に仏教が伝来すると生命あるものの殺生が「良くないこと」とされるようになり、肉食を避ける風習を生み出すようになりました。
天武天皇は676年に牛・馬・サル・ニワトリの肉を食べることを禁じます。
- 調理技術の発達と共に農耕が普及、主食と副食の分離
- 内臓の食用が途絶え肉の食用へ
- 仏教伝来(殺生禁断)⇒肉食の忌避
飛鳥時代(593年~710年)
肉食の習慣は消えることはなく、古くから肉食を親しんでいた人たちの間では必要に応じて山野に猟に出かけ、鳥獣の肉を楽しむ風習が続いていました。
これを「薬猟」称していました。
- 肉禁止令により狩猟による山肉(野獣肉)の食用
奈良・平安時代~鎌倉時代(710年~1399年)
たくましい生活力と軍事力を武器にした武士階級は、狩りによって得た獣肉を食膳で楽しみ、獣肉に対する禁忌とは無縁でありました。
武家文化のなかで「狩場」は、軍事演習の場というだけでなく、貴重なたんぱく源を確保する場所としても珍重されていたのです。
鎌倉時代の禅宗では禽獣の肉は健康維持や病人の体力回復のために薬代わりに少しずつ消費する「薬食い」と婉曲な表現が用いられ、狩猟を「薬猟」と称していました。
- 武士を中心とした動物性タンパク質の豊富な食生活
- 狩による獣肉の食用(狩場は貴重なタンパク資源の確保)
室町時代(1399年~1573年)
室町時代はしょうゆや味噌など現在につながる食生活が形づくられた時代。
このなかで、魚や鳥類の肉を上品なものとして考えられた一方で獣肉は下級なものと考えられていました。
室町時代後期には肉や魚を用いた禅林風の食べ物が武士の食生活にも浸透。
寺院や海から遠い京都などでは肉類を用いない精進料理が発達し、「日本料理」の原型がつくられました。
- 日本料理の原型がつくられる
- 上品な食物として魚鳥肉を尊重(獣肉は下級な食)
安土桃山時代(1573年~1603年)
安土桃山時代にはそれまで二食だった食文化が三食になるという変化が生まれます。
仏教の「殺生戒」から解き放たれ、牛肉や豚肉が食用として受け入れられるようになります。
秀吉は「伴天連追放令」によりキリスト教を禁じ「牛馬をと殺して食用に供すること」も禁止します。
- 食事回数が1日3食に
- 仏教の「殺生戒」の解放
- 豚肉・牛肉の食用化⇒キリシタン追放令(肉食禁止)へ
江戸時代前期(1603年~1730年)
「鎖国令」、「島原の乱」などを契機に生牛馬のと殺禁止令は江戸幕府の定法となります。
鎖国下、日本の伝統的な食文化の中に南蛮や支那料理の要素を和風にして日本料理が完成した時代。
近江の彦根藩では生牛と畜が黙認され牛肉の味噌漬けや干し肉による「薬食い」が考案されます。
近江の名産品となった養生肉は「寒中見舞い」の貢物として献上されていました。
- 日本料理の完成期
- 牛肉の味噌漬け等保存食を病気を治す養生肉として食用を許可
江戸時代後期(1730年~1868年)
このころ、自宅ではなかなか調理できない食肉が、一部の飯屋や飲食店で堪能できるようになります。
「山くじら」の看板を出す店でイノシシの肉鍋や「ももんじ屋」ではイノシシのほかにシカ、タヌキ、鳥肉などの獣肉も楽しむことができました。
- 町民文化が開花
- 外食文化が登場し、家庭では料理できない食肉は外食化
明治時代前期(1868年~1890年)
明治2年に海軍が牛肉を栄養食として採用。
同5年に明治天皇が初めて牛肉を食され、牛鍋屋は「官許」の文言を看板などに記します。
このころ、「関東風すき焼き」のルーツとなる「牛鍋」のブームが起こります。
明治30年代いはウスターソースが市販され、多数の料理本も出版されるようになり、肉料理は家庭料理の仲間入りを果たします。
福沢諭吉は幕末のころから
「牛肉は滋養によい。牛肉は夜の明けるに従い誰でも食用するようになる」
と「食肉のススメ」にも貢献していました。
- 海軍が牛肉を栄養食として採用
- 明治天皇が初めて牛肉を食す⇒肉食を推奨
- ウスターソース市販化により肉料理は家庭料理の仲間入り
明治時代後期(1890年~1912年)
明治時代後期には安価な豚肉を材料にしたトンカツ、カレーライス、コロッケという「日本の三大洋食」が登場。
大衆的に中国料理として人気だった支那そばのチャーシューにも豚肉が使われるようになります。
- 豚肉を使った3大洋食(トンカツ、カレー、コロッケ)の登場
大正・昭和初期時代(1912年~1940年)
太平洋戦争が勃発した昭和16年になると、肉牛の出回りが悪化し肉食の普及は大きく後退します。
敗戦直後の食料難時代には食肉は手に入れるのが難しくなります。
大正や昭和初期にかけては、ハムやソーセージなどの加工肉の技術が欧米の技師から伝えられ、食肉加工業が成長し始めます。
明治時代に一世風靡した牛鍋は関東大震災をきっかけに、関西風に卵をつけて食べることが多くなったすき焼きと安価な牛丼に分化していきます。
- 欧米より加工食肉技術の伝来
- 食肉加工業が成長
昭和時代中期(1940年~1970年)
昭和24年になりようやく小売店で自由に買うことができるようになりましたが、食肉の消費量が戦前の水準を越えたのは昭和31(1956)年になってからのことです。
経済大国と呼ばれるようになった昭和55(1980)年の『厚生白書』では、伝統食に酪農製品を含む動物性食品、野菜、果物をバランスよく摂取する「日本型食生活」を、理想的な食生活としています。
食肉の生産にも大きな変化が現れ、牛肉では設備の機械化などで大規模経営へと転換。
豚肉の生産も、昭和31年以降大規模養豚経営へと転換が加速していきます。
昭和33年に養鶏でも、肉専用のブロイラー生産が始まりました。
- 太平洋戦争により肉食の普及が一時後退
- 昭和30年以後アメリカの食文化の積極的な導入により食肉の消費拡大
- 食肉消費拡大によい生産も拡大⇒大規模飼育経営へ転換
- 鶏肉もブロイラー生産開始
昭和後期~現在(1970年~)
肉食の大衆化により、国内の食肉消費量は急速に増加し、70年代初頭には外国肉が輸入されるようになる。
それまでは簡単なランクやサイズなどで売られていた牛肉が、消費者のニーズにマッチするように、用途別、部位別に売られるようになりました。
豚肉も産地化が進み、薩摩の黒豚など特定のブランド豚肉が注目を集めるようになります。
鶏でも同じように名古屋コーチンや比内鶏など銘柄地鶏を、自然で安全な環境で飼育して、より付加価値の高い商品を開発する試みが進んでいます。
日本人は量をたくさん食べるというより、肉の質や美味しさを重視することに重きをおいているといえます。
- 肉食の大衆化が進み、外国産肉の輸入が始まる
- 食肉需要が高級化し、本物志向や栄養バランスを考慮した新メニュー時代の到来
- 部位別、用途別の販売が進む
- 食肉のおいしさ、質、安全性が重視されるようになり、産地化がすすむ
最後に・・・
以上が食肉の日本史の内容でした。
実はここのカテゴリーは全体の3%しか出題されないそうです。
いやめっちゃ勉強してもうたわ!!!!!
ここは案外流し見する程度でよさそうです。
今後も定期的に発信していきたいと思います!
最後まで見てくださってありがとうございます。
それではまた!